考えない人は、なぜ強いのか?

考えない人は、なぜ強いのか?

唐突だが、「考える人」として有名なロダン作のブロンズ像の男は、一体何を考えているのだろうか?

現在進行中の教育改革の方針の中にも「思考力・判断力・表現力」と言葉が並んでいる。先頭に「思考力」があるように、「考える」力は、教育において重要視されることが多い。そこで、今回は、この「考える」を掘り下げてみたい。

まず、私たちがよく知る「考える人」は、実は、巨大な作品「地獄の門」の一部である。この事実を知っている人は意外に少ない。上野の国立西洋美術館に行くと、高さ5.4mの巨大な門がある。そして、その上部に「考える人」が腰掛けていることを確認することができる。

「考える人」は高く評価されている作品だが、門全体を見わたしたとき、もしかしたら「考える人」は「考えていない」のではないかと思えてくる。彼は、門から地獄へと落ちていく罪人たちを、ただ眺めているようにも見えるのだ(実際にそのような作品解説をしている美術評論家もいる)。

もしそうだとすれば、これまで「考える人」というネーミングから、必死になって思いを巡らしていると、私たちが思い込んでいた人物が、実は、目の前で起こっていることを、ただ傍観している人物だったことになる。

私たちは、「考える人」という名称、作品のコンセプト、さらに社会通念にとらわれて事実から遠ざかっていたと言えるかもしれない。言うなれば「木を見て、森を見ず」の状態で、知らぬ間に視野が狭窄になっていたのではないか。

考えない力に光を当ててみる

一方、少し変わった玩具がある。2013年11月にタカラトミーアーツから発売されたユニークなフィギュアだ。その名も「考えない人」。

「考える人」のパロディ作品として製作され、人気を博している。(他にも「自由の女神」のパロディで「自由すぎる女神」などが発売される。)どのフィギュアも、じっくりと考えている様子はなく、台座に頭を突き刺したり、開脚したり、タックルしたり、爆睡したりしている。この商品が、「考える」ことへのアンチテーゼとして作られたかどうかは定かではないが、筆者は、ここに教育の重要テーマに通ずるものを感じる。

彼らは何も考えずに、全力で「行動」している。何かを成し遂げたいと思うとき、もちろん、考えることも重要だが、感じるままに行動してみることが重要な局面もある。「考えてから行動する」のではなく、「行動する中で新たな考えが生まれる」という方が、予期せぬ結果を生み出す可能性があるという意味で、創造的な活動だとも言えるだろう。思考力を重視し過ぎるがゆえに、考えがまとまるまで、いつまでも動けないのでは元も子もないのだ。

「考える人」が実は傍観者で、「考えない人」が行動的主体者だというこの逆転の構図の中に、私たちは「行動する」力の大切さを再確認することができるかもしれない。

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