スマホがないと思い出が残せない?記憶と記録を考える

スマホがないと思い出が残せない?記憶と記録を考える

「運動会にはスマートフォンを持ち込まないように」

運動会前のホームルームで担任の先生は生徒たちに向けて注意の言葉を伝えました。

多くの小中学校では基本的に携帯電話やスマートフォン、ゲーム機など小中学校に必要のない電子機器の持ち込みを禁止しています。そのため、本来であれば、改めてこのような注意の言葉を言う必要はないのかもしれません。

しかし、ネットの世界を眺めてみれば、学校内の日常があたり前のように投稿されています。トイレの中、放課後の教室、休み時間の非常階段や体育館横。

学校という広い敷地の中で、先生の目に届かない場所は絶好の撮影ポイントです。写真はSNSを通じて共有され転送され、やがて、第三者が目にする場所に拡散されていきます。そんな現状を把握しているからこそ、イベントごとに生徒たちへ改めて注意の言葉を伝えるのです。

そうすると、

「そんなの、どうやって思い出を残せばいいの?」

生徒からは、そんな質問が飛んできます。応援合戦、各種競技、運動会という非日常の体験。スマートフォンで撮影した写真を見ることで、体験した出来事を思い出す。

写真は思い出なのか?

写真は思い出なのでしょうか?

Googleで「思い出とは」と検索してみると、『過去の体験を思い出すこと。「―の名場面」。特に、体験した事柄で今も印象に残って思い浮かべる、その事。』と書かれています。

写真に自分自身の体験を伴った出来事が映っていなければ、写真はただの記録に過ぎないのです。

さて、子供たちの日常に改めて目を向けてみると、スマートフォンで撮影する行為はとても身近なもののようです。

2016年7月に公開されたMMD研究所の「中学生のスマートフォン利用実態調査」では、56.5%の中学生が「写真を撮る」ことをスマートフォンで普段していると回答しています。

今日のコーディネイト、目にした風景、遊びに行った場所、友達との日常。

すべての出来事を記憶にとどめることは難しいため、写真を思い出という記憶の箱をあける鍵にするのでしょう。しかし、記憶の箱をあける鍵が写真だけではないことを私たち大人は知っています。

先に挙げたMMD研究所の調査結果では、スマートフォンを使用している中学生の3.6%が「SNS上やネット上に無断で写真・個人情報を挙げられてしまった」と回答しています。この数字を少ないとみるか、多いとみるかは情報の受け手によっても異なりそうですが、無断で写真を投稿された生徒にすればたまったものではありません。

子供たちは、「ネット上に流れてしまった情報は簡単に消えない」と学校で学んでいます。

写真に写りたいけど写りたくないジレンマ

以前、ある中学生のクラス集合写真がSNS上に投稿されたことがありました。

満面の笑みをカメラに向かって浮かべる生徒たちの中に、手のひらを口元にかざす生徒たちの姿がありました。手のひらをかざしていた生徒に話を聞くと「一人だけ写りたくないって言えないけれど、顔の一部分を隠すことで少しでも自分の顔がネット上に投稿されることに抵抗している」というのです。

スマートフォンで写真を撮影する行為は、あまりに日常的過ぎて「写りたくない」とは言いにくい。自分が写っている写真が欲しいけれども、ネットに勝手に投稿するのは勘弁してほしい。

そんなジレンマを口元に手のひらをかざす姿から感じました。

「運動会にはスマートフォンを持ち込まないように」

たったそれだけの注意があるだけで、写真に思い出が残せないと感じる生徒。
たったそれだけの注意があるだけで、写真がネット上に流れないと安堵する生徒。

スマートフォンがないと思い出が残せない!写真を撮影して思い出を残さなくてはいけない!という感覚ばかりが先走りすぎて、目的と手段が入れ替わらないために。子供たちがまだ小さかったころ、愛らしい姿を写真に残そうとやっきになっていた自分を思い出しながら、子供たちと一緒に記憶と記録について考えてみませんか?

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