東大推薦入試から見えてくる、就活の未来像 ~東大生記者がレポートする教育改革事情〜

東大推薦入試から見えてくる、就活の未来像 ~東大生記者がレポートする教育改革事情〜

学校や会社に入る時に、我々は<選抜>を受ける。その合否は時々の基準に基づいて行われる。「点数」などのわかりやすい基準もあれば、「人物評価」という一義的に定まらない基準が設定されることもある。面接がある試験で、落ちたことがある人は皆分かるだろう。なぜ私は落ちたのか?私のどこが悪かったのか?その基準は不透明である。この不透明さゆえに、就職での企業の採用基準や推薦入試などが批判の的となる。しかしながら、この方向性は間違いなく今後の社会の基準となっていく。

推薦入試の興隆

1990年代初頭に導入された「推薦入試」。その一つの形態である「自己推薦」というのは、出願者自身の人物像を学校側の求める学生像(アドミッション・ポリシー)と照らし合わせて合否を決める入試方法である。2000年度は大学入学者の1.4%であったが、2012年度は大学入学者の8.5%に増加し、昨年度は東京大学も導入し話題になった。

おそらく、この増加傾向は止まらない。背景には、成熟した21世紀の社会では一つしかない「正解」の出し方を訓練するのではなく、自ら解を作り出す思考力、想像力、判断力の養成が先進各国で求められていること(東大新聞オンライン2016年6月29日記事)や、定型化した仕事は人工知能が代替してしまうということ(東大新聞オンライン2016年3月20日記事)が挙げられる。

推薦入試の歴史

実は「推薦入試」の始まりは、1974年の愛知県の職業学科の高校入試で導入された。学力的には普通科の下にランクされる職業学科で、目的意識の明確な生徒を集め、学校の活性化をねらうためであった。

これ以降、「推薦入試」は学力ランキング中位以下の高校での導入が相次いだ。大学入試においても、入試難易度が低い大学からの導入が進み、推薦入試は「手軽でずるい」というイメージが拭えなかった(中村高康[1996]「推薦入学の公認とマス選抜の成立」)。もちろん慶應義塾大学SFCなどが特色ある人材を取るための推薦入試を実施し効果をあげるなどの取り組みもあるが、2008年には中央教育審議会が、AO入試が大学生の学力低下の一因であるという報告書をまとめるなど、全体として推薦入試への批判は絶えなかった。

しかしながら、このイメージを東大の推薦入試導入が払拭した。今や東大生のうち、推薦合格生は「超エリート」の象徴である。筆者も複数の東大生から「推薦生のスペックにはかなわない」という言質を聞いた。ここにおいて、「推薦入試合格者」は一挙に「新たな時代の能力者」の称号を得たといっても良い。時代が追いついたと言っても良いだろう。

推薦入試で問われる能力

ではここで、「推薦入試」で問われているものを、東大推薦入試を例に確認しよう。学部によって形式に差はあるが、概ね(1)願書(2)エッセイそして(3)面接がある。

願書では志望動機を書くが、ここでポイントとなるのが自分のこれまでの興味関心と関連させて書くことだ。過去やってきたことと照らして、将来はこれをやりたいから、この学部に入りたい、という過去と未来の一貫性を持たせて立論することがポイントとなる。(2)エッセイでは志望する研究分野の基礎知識が確認されると共に、「あなたが感動した科学技術は」など、知識だけではない志願者の興味関心が問われるケースもある。この傾向は(3)面接でも同様で、なりたい将来像などの確認がなされる。

一般に、東大推薦生のその飛び抜けた能力である「卓越性」が取り沙汰されることが多い(プロのピアニストなど)。だが筆者は違う見解を持っている。もちろん過去努力してきたことの結果としての、卓越した実績(コンクール優勝など)も評価の対象となるだろう。しかしおそらく根本的には、自らの学びを一定の方向に振り分けてきたその一貫した「情熱」のようなものを大学側は見ているのではないだろうか。実際に、Umeetでも記事を書いている田中君が言うように、「好きとか感動とかやたらとエモい(emotional=感情的という意)質問を聞いてくる」という証言もある(東大発オンラインメディアUmeeT 2016年6月1日記事)。

ここで筆者は、推薦入試に合格するために必要な資質として、学習科学における「主体性」=Agencyを挙げたい。それは、過去の習慣と未来の可能性を自身の中で文脈として統合し、現在に没頭して生きることのできる人間の事である(Mustafa Emirbayer and Ann Mische,1998)。

そしてここで、昨今の教育改革の方向性が接続する。改革の代表的な取り組みであるアクティブラーニングは、「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び」を掲げる。

このアクティブラーニングの普及は実は、学びの可視化の問題を呼び起こす。単元として定型化されていない学習が多くなるアクティブラーニングにおいては、どのような学びをしてきたのか、その内容と評価の仕方が懸念点として挙げられる。どのような学びをしてきたのかを問う推薦入試では、これまでどのような学びをしてきたのかを自ら可視化してPRする必要がある(早稲田塾などの推薦入試対策に力を入れている学習塾は、塾内において塾生の実績となる活動を用意している)。

どのような学びをしてきたのかという内容面と共に、それを大学側などにどう見せていくのかという課題がある。現在の推薦入試においては、願書=エッセイを執筆し、そこに自らの学びを記述しPRする形態となっている。また慶應義塾大学など一部の大学においては独自のシステムに入力する必要がある。

しかし、この入試形態にはいくつかの問題がある。第一に複数の大学に出願する場合、それぞれの大学の用意する書式に合わせていくつも執筆する必要がある。時間のない受験生にとってはかなりの負担となる。第二に志望すると決心した段階でこれまでの学習の履歴を振り返り文書化する必要があるが、学んだ資料を紛失していたり、また学びから時間が経っていてその時の感情や学びの内容を思い出し言語化するのに手間がかかったりする(そして多くの受験生はこの思い出し作業に苦労する)。

デジタルポートフォリオが解決する世界

これを解決するテクノロジーレベルでの取り組みはすでに始まっている。それが学習履歴のデジタルポートフォリオ化(SNS)だ。サマデイ社が昨春リリースした「Feelnote」というオンラインアプリケーションは、自らの学習をさながらFacebookのように、画像と共に投稿することができる。

 

国内に先んじて、すでに米国の大学入試のプラットフォーム「Universal College Application」での採用が決定し、Feelnoteを利用して米国の大学に出願できるようになっている。これにより受験生は、(1)複数大学にそれぞれ出願書式を用意する手間を省き、(2)学びを逐次ログを取ることで出願の際の困難な思い出し作業が免除される。

日本国内でのサービス普及はまだこれからなものの、筆者はこの学びのスタイルが今後普及していくと感じている。自らの学びを構築し、自分という人間のストーリーを組み上げていくこの学習と入試のスタイルは、「手軽でずるい」どころか、高度な主体性が要求される。従来のように、決められた範囲の単語の暗記などに時間を割く必要はない。しかし、自分という人間が何に興味があり、どのように時間を使い、未来を語っていくのか。学習者は自らの学習のセルフブランディングを求められる。

もし、この記事を読んでいる人が中高生なら(少し難しい文体で語っていて申し訳ないけれど)、自分が情熱を振り向けられる興味分野があるか問うて欲しい。それがあり、基礎的な学力があるならば、東大で推薦に受かることも不可能ではないだろう。能力的なスーパーマンが合格するのではなく、主体的に自らの学びを作っていく人が合格してスーパーマンになるのだ。

自ら学びと専門性を作っていく能力

そしてこの話は、すでに大学に入った者にとっても無関係でない。「これが好きだ」「これを一生やっていきたい」という、自らが人生を賭けて突き進む「方向性」がないと、いざ就職活動を迎えた段になった時に苦しいことになる。すでに多くの人が経験したきたし、先輩の事例も見てきているはずだ。マイナビやリクナビから大量の企業情報を受け取り、セミナーに足を運び、横並びで面接を受けるしかなくなる。就職先の選び方も結局、「大企業」や「人がいいから」という理由が大方になる。君は、本当は何をしたいのか?

このような新卒一括採用の問題点はすでに多数指摘されている。批判される要因として企業の採用慣行が挙げられることが多いが、筆者は学生側の主体性の無さも一因ではないかと睨んでいる。そしてその問題は、大学生活において初めて噴出するものではない。すでに中高生の段階から、学びへの態度は形作られていく。その学びへの態度は多くの場合、人生への態度形成にも繋がっているのではないか。

Feelnoteのような取り組みは、就職活動にも採用されていく可能性が高い。つまり、(1)各社ごとに違う書式に合わせて大量のESを書く必要がなくなり、(2)就職活動の時期になってから慌てて人生の振り返りをするのではなく、日々の生活でコミットしていることを逐一記録にとり、自らがどういう学習・活動に時間をつかっているのかについての自覚的になるようになるのだ。

Feelnoteに類似した取り組みとしてすでに「Wantedly!」などがあるが、就職活動に限定した履歴を一時的に記載するだけのWantedly!に対し、中高生のうちから継続的に学びについて記録し続けるという意味で、Feelnoteは一歩進んでいると思われる。Feelnoteが普及するかはまだ未知数だが、若者の学び方の未来像を力強く示していると言っていいだろう。

今後、マイナビ・リクナビを利用するような就職活動の形態はますます時代遅れになるだろう。それは自分を会社に安値で叩き売るようなものである。学生時代から専門性を作り、それを売りにして仕事を自ら作っていく時代が必ず来る。

筆者もそのような経験をいくつもしている。例えば、東大新聞オンラインに寄稿した記事を名刺代わりに、新たな取材先を獲得することができる。今回取材で訪れたサマデイ社にも、教育関係の筆者の執筆記事のURLを送ってアポイントを取った。自らのキャリアはこのようにして作り上げていくのである。自ら行なったことだけが実体になり、それが次のチケットになる。サークルにコミットし合議などの組織的な仕事に時間を使うことや、精一杯アマチュアスポーツに青春を注ぐ人、どのように仲間ノリで遊ぶかに一生懸命な人に比べて、強い主体性Agencyを持って学生のうちから自らの専門性を構築していく人とでは、その将来に雲泥の差が生じるだろう。多くの日本人学生は眠りについている。君はいつ起きるのか?


■参考文献
中澤渉(2007)『入試改革の社会学』東洋館出版社
Mustafa Emirbayer and Ann Mische(1998)What is Agency? American Journal of Sociology,Vol.103,No.4

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