文部科学大臣は、ジャイアントスイングの名手だった!②

文部科学大臣は、ジャイアントスイングの名手だった!②

※ この記事はの続編です。

さて、もう一度プロレスに目を転じる。すると、プロレスこそまさに「インプロの究極形」だと言えそうだ。リング上では何が起こるかわからない。一説によれば「プロレスはショーだ」とされ、筋書きが決まっていると言う人もいる。しかし、そうであるからこそ、観客の期待に沿うように技の流れを演出し、どう試合を魅力的に展開するかは、全て創造的なインプロだ。

プロレスのリング上で鍛え上げられるような「インプロのメンタリティ」こそがアクティブラーニングの本質であると筆者は考える。したがって、この原点を持つ馳浩氏は、「教育は国家100年の計」を担う人物としては最適任なのかもしれない。

馳浩氏が文部科学大臣にふさわしい3つの理由

さらに、馳浩氏が文部科学大臣にふさわしいと思われる理由を、筆者が考える3つの観点から掘り下げてみる。

①闘うアスリートであるから
プロレスの試合では「ピンチ時のパフォーマンス」が観客の興奮を掻き立てる。対戦相手に押さえつけられ、カウントツーまでいったとき、渾身の力を振り絞って相手を返す。このファイティングスピリッツが、時代を動かす改革には必要だ。さらに、一般人の想像を絶するフィジカルと、激務に屈しないメンタルを兼ね備えていることも、文部科学大臣として重要なことである。

②ショーマンシップを備えたエンターテイナーであるから
言うまでもなく、プロレスはエンターテイメントだ。エンターテイナーは観客とのやりとりの達人だ。報道を見れば一目瞭然で、彼の報道陣に対するコメント力や、記者いじりなどは、リング上のマイクパフォーマンスで鍛え抜いたプレゼン力を強く反映している。

③ビジネスのプロデューサーであるから
彼がアマレスの選手から、プロレスラーに転身したことが意味深い。プロレスラーはアスリートであることに加え、興行を成立させるための「観客動員」などでプロデュース業務にミッションを持たなくてはならない。客のいないリングではメシが食えないことを、彼自身よく知っているはずだ。このビジネス感覚を持っているということが、教育改革をお題目で終わらせず、実動させるリアリティに直結しそうだ。

2回にわたって、馳浩文部科学大臣を切り口に、私たちが直面している教育改革の要諦を論じてきた。今回の改革は、リアルな行動とスピード感が重要だ。挑戦者馳浩に残された試合時間はそう長くはない。

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