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世界の学び舎から「アクティブラーニング」を考える

こんにちは、記事「高校中退NYU生が語る:僕が日本の有名大付属高校をやめた理由」で記者デビューをしました、小杉山浩太朗です。前回は、僕が日本の一貫校を退学し、ピアソンカレッジUWC(カナダ)へ進学した経緯を取り上げながら、日本の教育課題について書かせていただきました。今回は、実際のUWCでの学びから感じたことを、思うままにまとめてみたいと思います。

高校中退NYU生が語る:僕が日本の有名大付属高校をやめた理由

本題に入る前に……

ニューヨークに住み、「将来の社会への投資としての教育」に関心を持ち、そして世界80ヵ国以上の友人たちと2年間生活した経験から、冒頭に書き添えておくべきことがあります。それは、「アメリカ第45代大統領選」についてです。

選挙当日、僕は、政治に関心の強い友人と、ヒラリー・クリントン氏の選挙本部(勝利すれば記念パーティーとなるはずの場所)にいました。トランプ氏優勢のニュースが入るにつれ、会場は次第に静まり返り、涙を流す人が出始めました。そして、ついにトランプ氏勝利の一報が、エンパイアステートビルディングに大きくプロジェクッションマッピングで映されたとき、マンハッタン全体の時間が止まったようでした。

翌日、僕の通うNYUのクラスでのこと。教授は悲しみの涙を流し、世界各国から集まったクラスメートの顔は暗く……教室が言葉では表せない空気で満たされていました。選挙後の日本の報道を見ると、選挙を取り巻く一連の出来事に関する肝心なポイントが拾われていないような気がして、それについても、つい記事にしたくなってしまうのですが、その衝動を抑え、今回は、大統領選挙の背景にある「教育の重要性」について、書き出しのトピックとして書いてみたいと思います。

トランプ次期大統領がすでに築いた、もう一つの「壁」

トランプ氏の選挙公約の中に「アメリカとメキシコの国境に壁を作る」というものがありましたが、僕は、彼はすでに「もう1つの壁」を作ったと思います。それはアメリカ国民を分断する壁、具体的に言えば「高等教育を受けた人と受けていない人の間にある隔たり」です。

選挙戦からしばらく経ちますが、この壁は、(抗議活動などを通しても見られるように)日々高く、そして分厚くなっています。あるとき、クラスメートとこんな会話をしたことが印象に残っています。

「United States of America」は、もはやnon-United。
国としてまとまりのないただの「States of America」だ。

国民の10人に6人が学士(Bachelor Degree)以上の教育を受けていないアメリカ。そんな教育人口分布の中で行われた選挙戦で、トランプ氏の勝利に大きく貢献したと言われているのが、高等教育を受けていない人たちの存在です。一言で結論づけることはできないほど実際は複雑ですが、彼らが大きな存在感を発揮したことは間違いありません。

アメリカでは激しい職業・経済格差と教育コストの高さが相まって、大きな教育格差が存在しています。その格差は必然的に次の世代にも引き継がれて、職業・経済・教育格差は拡大していくスパイラルとなっているのです。こうして作られた「隔たり」が、今回の選挙戦で特にトランプ氏の登場により表に現れたのです。この現象が意味しているのは、まさに将来社会への投資としての「教育」の重要性だと私は思います。

今日のアメリカでの衝撃や混乱は、決していきなり生じたものではありません。これまで数十年とアメリカが自国民にしてきた投資、つまり教育がいかなるものであったかを示しているのです。今回の選挙戦で浮き彫りとなった国民の間の大きな溝。これが、多くの人が憧れる世界をリードする国、アメリカの現状であることから、私たちは目を背けることはできません。

アメリカの現状から得る「アクティブラーニング」のヒント

こういった現状を踏まえ、人口減少の道を辿る日本は、世界と戦える人材を育成するミッションをどう達成していくべきでしょうか。この問いに対するキーが「アクティブラーニング」だと僕は考えます。前回の記事でも書かせていただきましたが、「アクティブラーニング」は、テストのスコアや偏差値だけでは測定することのできない「Learnの力(Studyではなく)」を育む重要な概念です。

私たちが「アクティブラーニング」について議論する際、教育を提供する側、つまり教員サイドがどう変化するか(具体的には「教え方がどう変化していくのか」など)に焦点があたりがちです。しかし、「教育される側(学び手)」がどう変わるかという点の方が、より重要だと僕は考えます。

たとえば、オリンピック選手がスランプに陥ったとき、コーチを変えればまたすぐに金メダルを取れるでしょうか。答えは否です。肉体改造をし、トレーニングメニューを変え、食生活をも変えるなど、プレーヤ自身がアクティブに動いてこそ、初めて勝利に近づけるのです。

教育も同じです。日本の教育に対する現状を変えるには「教育を提供する側」と「教育される側」の両者が変わらなければいけないということを、僕はNYで日々痛感します。

教育を提供する側の変化という点で、僕は忘れられない教師の言葉があります。それは、私が学んだUWCに在籍する国際色豊かな教師が、よく僕たち生徒に送ってくれたメッセージです。

学ばせてくれて、ありがとう。

普通に考えれば「学び手」が言うこの言葉を、教師が言うのです。UWCでは、IB国際バカロレアのプログラムを基に「Learnの力」を身につけるのですが、授業を通して学んだことをベースにして行われるディスカッショ ンやプレゼンテーションのあとには、必ず先生が「私自身も多くのことを学ばせてもらったよ」とコメントをくれるのです。これは先生がただ優しくしてくださっているのだけなのでしょうか?

Great teachers are great learners.
良い先生は、良い学習者である。

これは、UWCの校長先生がおっしゃった言葉です。教えることだけにフォーカスしてしまうと、決してアクティブに学ぶことができないと先生は言います。確かに、現在僕が通うNYUでも、教授陣の学習意欲に驚かされます。教師自身が学ぶことで、生徒との高いレベルのインタラクションを実現しています。

僕はこれと同じ感覚を得たことがあります。それは、日本で受講した「竹中平蔵世界塾(以下、世界塾)」でのことです。竹中平蔵教授ご自身の学習意欲が何よりもすごいのです。大臣を経験され、ダボス会議のボードメンバーでもいらっしゃる国際的権威が、常に誰よりも疑問を持ち、新たな学びを掴み取ろうとするのです。その薫陶を受けると、アクティブラーニングの達成には、教える側こそが誰よりも「Active Learner(アクティブラーナー)」であることが必要であると思い知らされます。

いま「教育を受ける」を再認識する

それでは、教育を受ける側は何を重視すべきでしょうか。僕は、学び手が、教師と同じように「アクティブラーナー」であることが最も重要だと考えます。「受ける」という言葉自体が、その行為の「passiveness(受動的さ)」を象徴しますが、反対に、どんなに教育の内容が変わったとしても、学び手自身が主体的に学ぼうとしなければアクティブラーニングにはなりません。

よくクラスの中には「こんなのは簡単すぎて授業を受ける意味がない」と言って居眠りをしている生徒がいます。これは典型的な「Passive Learner(パッシブラーナー)」でしょう。たとえ習っている公式や理論が既知のものであっても、先生がそれをいかに初めて学ぶ人にわかりやすく噛み砕いているかなどに注意を払えば、新たな学びを発見できるのです。これが「Active Learner(アクティブラーナー)」が居眠りの代わりにすることだと僕は思います。

一人ひとりが「アクティブラーナー」になる

これからの「Learnの力」が重要視される教育では、ただ椅子に座り、板書を写し、テストで高得点を目指しているだけでは不十分です。もちろんそれも重要ですが、さらに自身で学びの可能性を見つけることを通して、アクティブラーナーにならなければいけないのです。そしてそれが、最終的には、自分が手にした世界でただ1つの自分だけの学びとなり、日々競争が激しくなる将来の社会で武器となるのではないでしょうか。

僕も、2年間UWCという素晴らしい環境で学ぶ機会を得ることができましたが、受動的に2年間を過ごしていただけでは、コロンビア人の親友から、報道されないコロンビアの和平合意に関する国民投票の現状を学ぶことは決してできなかったし、生まれてから難民キャンプを転々として人生を送ってきたブルンディ人の友達から難民問題の本核を学ぶこともできなかったでしょう。

つまり、究極的には、どんなところでも学び手の意識の持ちようで、アクティブラーニングはできるのだと思います。現在、アメリカの大学での教育を受けている身として、先進的と言われるアメリカ教育の改善点も思いつきはしますが、この与えられた機会を最大限に活用し、何を学ぶことができるかを日々考えることが、アクティブラーナーとしての責任であると考えます。

日本では今日、急速に教育改革が進められています。アクティブラーニングに基づいた「Learnの力」を身につける教育の実現には、教育する側とされる側がともにアクティブラーナーとして教え、学び合うインタラクションが欠かせないのではないでしょうか。

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