「一億総活躍社会」と「高大接続改革」

「一億総活躍社会」と「高大接続改革」

賛否両論あるものの「一億総活躍社会」というネーミングは、そのベタさゆえに現在は広く浸透していると言えるだろう。少なくとも、国民一人ひとりにスポットが当たっているというイメージは湧く。これに対して、「高大接続改革」という名称はどうだろうか? 聞きなれない人からすれば、さっぱり何のイメージも湧かないというのが本音だろう。共通目標に向けて「高校と大学の教育をつなげる」ことがテーマとなっているからこそのネーミングだが、この「高大接続」も、その先の成果ないしは効果を打ち出さなければ、本来の目的は伝わらない。たとえば、「高大連携 社会活性化改革」などはどうだろう?

メガコンペティションの時代

すべての人は、例外なく社会にさらされている。だからこそ、高校の教育も、大学の教育も、大学入試も、すべて、実社会で生き抜くためのロードマップを描くべきであり、そのための改革なのだ。そして、その結果として、日本社会を活性化させることが目されているはずだ。そうでなければ、改革の意味はないに等しい。

今、社会はメガコンペティションの時代を迎えている。言って見れば「教育のTPP」が起きているわけだ。悠長なことを言ってはいられない。高校も大学も社会も一丸となって事にあたる体制を早急に築かなければならないはずだ。

馬車を何台つなげても、蒸気機関車にはならない。

「経済成長」の創案者でもある経済学者、シュンペーターのこの言葉通り、これまでの延長線上で考え、調整するといった発想ではどうにもならない。たとえば、大学入試における多面的な人材評価の一手として「記述式試験の導入」が検討されているが、採点方法が見えないために、導入を先延ばしにすべきとの声が上がっている。

しかし、記述式云々より、抜本的に考えなければならないことがあるはずだと筆者は思う。それは実社会と教育との大局を見据えた連携モデルであり、産学官が力を合わせて実現するアクションプランの構築である。ところが、産学連携は、ともすれば対立構造になることがある。

大学と産業界の理想のカップリングとは?

「大学の役割は、本来、国力の土台をつくる研究活動だ。社会との接続ばかりを考えて、産業界からの要請に左右されるようでは、研究機関としての大学力が弱体化する。」

広くまかり通ったこのような意見に代表されるように、大学教育の独立性という立場から、産業界との一定の距離感が必要なのは100歩譲って理解するとしよう。しかし、この建前を守るためだけに、本当に日本の大学教育のあり方を見直さなくて良いのだろうか。

文部科学省の「平成24年度版 科学技術要覧」によれば、我が国の労働者人口1万人当たりの研究者数は127.7人。この数字は、アメリカ、イギリス、ドイツに比べても高い比率を誇っている。つまり、研究によって国を支えている人材は全体の1%であって、残りの99%はビジネスで日本社会を盛り立てているということになる。

「必要は発明の母」ではないが、大学は本来、研究機関であると同時に、教育機関だ。そこで学ぶ学生の大多数は、将来、企業活動を行うことで、国力に貢献することになる。だとすれば、大学は企業の研究開発およびマネジメントの重要性を認識したうえで、その力を高めなければならない。

そして、大学がこれらをどう舵取りすべきかは、研究大学、教育大学の方向性を含め、通常の社会や企業に求められるビジネスレベルのスピード感で、判断していかなければならない。現状はまさに待ったなしの段階に来ているのだ。

Related Post

Other Articles by 相川 秀希