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伊能忠敬から学ぶ、教育改革の重要事項

伊能忠敬は、「大日本沿海興地全図」を作り上げたことで知られている。精密な測量器具もない江戸時代に精度の高い日本地図を作成するという偉業を成し遂げたわけだが、まさにその取り組みには、現代の「高大接続システム改革」に通じるものがあると筆者は考えている。中央教育審議会による「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体改革について(答申)」で、「学力の3要素」の1つとして定義された「主体性・多様性・協働性」を、伊能忠敬の中に強く感じるのだ。

伊能忠敬から学ぶ「主体性」

「地球の大きさを知りたい」という旺盛な好奇心が、伊能忠敬を日本全土測量の道へと突き動かした。当時はまだ「地球は丸い」程度の認識しかない時代。日本人で地球の全貌を知りたいと思いを馳せ、実際に行動に移したのは、伊能忠敬ただ一人だった。毎晩星を見ては、わずかな位置の違いを書き残した。そして、北極星の高さを「江戸」と「蝦夷地」の2点で観測する方法で地球の外周を割り出そうとしたことがきっかけで、全国測量がスタートしたのだ。

夢や希望を頭の中で思い描いくことまでは誰もがする。しかし、それを具体化することは困難だ。実現までのプロセスを組み立て、実行する、真の「主体性」とは何なのかということを、このエピソードから学ぶことができる。

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伊能忠敬から学ぶ「協働性」

意外と知られていないが、伊能図は、伊能忠敬の死後に完成している。1817年、かつて伊能忠敬が測量を果たせなかった「蝦夷地北西部」の測量結果を、間宮林蔵が持って現れた。そして、各地の地図を1枚に繋ぎ合わせる段階になったとき、忠敬は急性肺炎でこの世を去ったのだ。このとき、残された弟子達は強く結束した。弟子たちは「この地図は伊能忠敬が作ったものだ」と世に伝えるために、彼の死を幕府に伏せて、地図の完成を目指した。高い協働性を発揮した結果、忠敬の死から3年後、日本初の実測地図が完成したのだ。

このエピソードから、伊能忠敬が作り上げたチーム力がよくわかる。彼はそもそも1783年の天明の大飢饉のとき、私財を投げ打って米や金銭を分けて、地域の窮民を救済したほど、慈悲深い人格者だったという。そういった日常的な人との関わりの深さが、周囲の協働性を掻き立てたのかもしれない。

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伊能忠敬から学ぶ「多様性」

前述の「答申」の中では、多様性とは「人の持つ多様な力」と定義されている。これまでの偏差値教育では、人物を評価する基軸はたった1つで、人の多様な可能性にはフォーカスされなかった。以前、このEducationTomorrowでも「Multiple Intelligence」を紹介したが、人の才能や可能性は、はかりしれない。そもそも酒造家である伊能忠敬からは、そんな「人の持つ多様な可能性」が強く感じられるのだ。

伊能忠敬の日本測量で17年間かけて歩いた距離は、実に40,000km。つまり地球一周と同じ距離を歩き抜いたことになる。しかも、歩測の精度にはほとんど狂いがなかった。さらにすごいのは、彼の年齢だ。当時「人生50年」と言われた平均寿命の中、なんと55歳から歩き始めたのだ。

17年間ひとつのことに向かう情熱や、ミッションのもと意志を持って歩き続ける力は、2020年の教育抜本改革で目指すべき人間力であるとも言える。今こそ、日本人を代表するレジェンド伊能忠敬から学ぶことは多い。

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