インターネットが変えた24時間365日の感覚値

インターネットが変えた24時間365日の感覚値

インターネットがもたらしたもの~いつでもどこでも

1990年代以降、インターネットは世界各国の社会に入り込んだ。そして、21世紀も15年を過ぎた今、もはや社会インフラの1つとなっている。インターネットがもたらした変革にはさまざまなものがあるが、とくに大きいのは「いつでもどこでもコミュニケーションが図れる」ようになったことだ。

この10年で、連絡を取り合いたい相手同士、お互いインターネットを通じて、いつでもどこでも連絡を取ることが容易になった。ここ日本では、とくに1990年代後半、携帯電話が普及し始めた以降から、その状況が顕著になっている。

“時間”“場所”の概念がゆるくなった

「いつでもどこでも」の感覚が浸透した結果、“時間”や“場所”の概念がゆるくなった。

たとえば、今、40歳以上の世代であれば、学生時代、友人たちと待ち合わせするとき、「横浜駅の東急線改札口(階段側)に3時ね」というように、場所・時間をはっきりと伝えていた方が多いだろう。しかも、待ち合わせを決めるには対面で話すか、電話(固定電話)を使うしか方法がなかった。なぜ事前にきっちり決めていたかというと、現代のように、携帯電話やスマートフォンがなかったため、待ち合わせ場所(近辺)に行くと連絡する手段がなく、事前に「いつ」「どこで」を共有しておく必要があったからだ(漫画『シティハンター』でもおなじみの駅の掲示板を使えば(知らない人はGoogleで調べてみてほしい)なんとかなるかもしれないが・笑)。

一方、2016年の今の時代、携帯電話やスマートフォンを持ってさえいれば、簡単に相手と連絡が取れる。今例に挙げた待ち合わせに関しても「横浜にこのあと3時ぐらいね。着いたらまた連絡する(or 連絡ちょうだい)」といったように、時間も場所もだいたいの指定をすれば、あとは自然にコミュニケーションが図れるようになっているのだ。万が一待ち合わせに遅れたり、都合が悪くなって行けなくなった場合でもその状況が伝えやすくなったのも過去との大きな違いである。

これが「“時間”“場所”の概念がゆるくなった」ということだ。

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“誰か”に接するのは昼間だけではない

“時間”“場所”の概念がゆるくなった結果、さまざまな感覚が変わってきた。その1つが、昼と夜の境界線である。

学校を例に取ってみると、30年ほど前のインターネットや携帯電話がない時代、クラスメイトと話す時間は基本的には学校にいる間がすべてだった。しいて言えば、学校帰りに友人宅に行ったり、周囲が許す範囲で電話で話をする、といった程度の接点の広がりしかなかった。

しかし、1人1台、携帯電話やスマートフォンを持つ時代※1になり、クラスメイトとはインターネットを通じて、いつでも連絡が取れる。音声通話はもちろん、メールや、最近ではLINEのように“非同期”なコミュニケーションも行え、結果として昼間の学校以外の時間帯もクラスメイトと共有できる時間が増え、結果として自分と他者との接点の広がりは格段に増えた。

※1:デジタルアーツ株式会社の調査によれば、何かしらの携帯電話を持つ未成年者(10歳〜18歳)のスマートフォン所有率は70.6%となっている(2016年2月発表結果)。

それでも24時間365日は変わらない~自分の時間、相手の時間

このように、30年前と比較して、インターネットの登場が人それぞれの24時間365日の感覚値を変えた。今までのように活動時間帯は明るい間だけ、電話をするには電話がある場所だけではなくなったのだ。インターネットさえつながれば(表面上は)すべての時間が誰とでも接することができる時代になったのである。ほかにも、インターネットの登場と同様に、とくにここ日本ではコンビニエンスストアの存在が、日本人の生活スタイルを変えた。それは24時間、街が稼働している社会になりつつあるのだ。

ここで筆者が問題提起したいのは、この変化は人間にとって有用なことばかりではないということだ。なぜなら、時間や場所の自由度が上がっても、人間としての24時間365日は変わっていないからだ。

これまで話してきたとおり、インターネットの登場、スマートフォンの普及は誰かと共有する時間の自由度を格段に高めた。一方で、人間として処理できるコミュニケーション量であったり、体力的な稼働時間は変わっていない。インターネットの登場以降、動物としての人間の変化はそんなにないのである。

こうした状況では、未成年の学生のように、これから成長期を迎える人間であれば、自分の好奇心が自分の能力に勝ってしまい、結果として、時間の共有そのものが(自身の能力以上の)オーバーワークになる危険性がある。加えて、自分が持っている感覚値が、必ずしもほかの誰かの時間感覚と同じとは限らない点も意識しておきたい。

結局のところ、24時間365日は変わらないわけだから、「インターネットで使う時間が増えれば増えるほど、その分、ほかのことに使える時間が減る」、この点を大人も子どもも意識して、自分の時間をどのように使うのか、また、相手とどのように接するのかを改めて考えなおす時代になってきたと筆者は考えている。

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