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教育は「洗脳」か? 「洗脳」なら不要か?

教育は洗脳か?

堀江貴文(ホリエモン)さんが3月17日に、『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』(光文社新書)を出されました。

まあ、なんとも「釣り」なタイトル。

東京大学在学中に起業し、大学を中退、球団買収やニッポン放送買収など普通の人が考えもつかないようなことを企て、極めつけは証券取引法違反による逮捕歴まである。それでもいまだ人気を博す堀江さんだからこそ、「教育は洗脳」などと言えるのだろうなぁと思います。

ネタバレにならないように詳細は触れず、Amazonの紹介文を記しますが、内容は推して知るべしです。

【内容紹介】
義務教育の「常識」を捨てろ、「好きなこと」にとことんハマれ!
真に「自由」な生き方を追求するホリエモンが放つ本音の教育論

学校とは本来、国家に従順な国民の養成機関だった。しかし、インターネットの発達で国境を無視した自由な交流が可能になった現代、国家は名実ともに”虚構の共同体”に成り下がった。もはや義務教育で学ぶ「常識」は害悪でしかなく、学校の敷いたレールに乗り続けては「やりたいこと」も「幸せ」も見つからない。では、これからの教育の理想形とはいかなるものか? 「学校はいらない」「学びとは没頭である」「好きなことにとことんハマれ」「遊びは未来の仕事になる」――本音で闘うホリエモンの〝俺流〟教育論!

自ら学び、楽しく働く姿を取り戻せ!
「好きなもの」は無敵の武器だ! /ハマる対象は何でもいい/三つの「タグ」で自分の価値を上げろ/あなたは「レア」人材か?/決断の時は「今この瞬間」/未来予測なんてできるわけない/義務教育が植え付けるのは空虚な「常識」/これから人はG人材とL人材に分かれる/楽しくない仕事は今すぐ辞めろ! /モノは持たなくていい/「所有」から「アクセス」へ/「快のシェア」がこれからの幸せ/「学び」とは「没頭」すること/「没頭」は天才の特権ではなく誰でもできる/学歴や資格を活かそうとするな! /「目標」を設定すると「目標以上」になれない/「やりたいこと」をやってる人にはかなわない/「手抜き」で有限の時間を守れ! /行動は「これいいじゃん」という小さな発見から/「遊ぶ」「働く」「学ぶ」は三位一体

【目次】
はじめに 「何かしたい」けど「今はできない」人たち
第1章 学校は国策「洗脳機関」である
第2章 G人材とL人材
第3章 学びとは「没頭」である
第4章 三つの「タグ」で自分の価値を上げよ!
第5章 会社はいますぐ辞められる
おわりに

将来的に収入が安定する確率を高めるために大学進学までのレールを敷かれ、暗黙のうちに公務員神話に乗っかっていた私は、堀江さんのいうところの対極にいる人間。今でも勇気がないから前職の延長線上のお仕事より外の分野へはみ出ることができないでいます。

また、堀江さんは、アドラーの『嫌われる勇気』が出たときに、これで日本人も行動する人が増えるだろうから嬉しいと思ったそうですが、結果的に行動する人は少なく、落胆したとのこと。本の感想や批評を述べて口を動かすことはできても、手や足を動かすことはできない。そんな人が日本にはごまんといるわけです。かくいう私もアドラーの言葉に感銘を受け、岸見一郎さんや古賀史健さん、ダイヤモンドの編集者さんはなんて素晴らしいんだろうと思いましたが、行動は起こさなかったですね……。

堀江さんによると、これが学校教育による「洗脳」で、本来人間が抱く欲望を抑えて抑えて、我慢させることばかりが学校で教えられてきたから皆不幸なんだということなのですが、実際どうなのでしょう。

たしかに、平和な世の中だからこそ、皆やりたいことを実現しなくてもそこそこな暮らしができ、やらないことに対して言い訳ばかり並べ立てる技術が長けてしまった感はあります。

イノベーターとバランサー

ただ、日本中の全員が全員、堀江さんのような起業家、イノベーターだとしたら「社会」は成り立たないと思いませんか? 逆に不幸になることはありませんか? 皆がやりたいことを優先し、気分で動くようになったら、まず電車は定刻通りに来ません。ヤマトの宅配便も届きません。会社の方針や上司の命令に沿って動く人がいないので、生産力は低下します。そこをAIがなんとかするという話だとしても、AIを開発したり維持したりする人がいなければその構想は実現できません。

極論を言ってしまえば、戦争をやりたければ戦争をやってもいいという話にすらなってしまう。堀江さんは、日本人の上意下達、空気を読む文化が第二次世界大戦の戦況を悪化させたというようなことを書かれていましたが、反対に皆がやりたいことをやる文化にしても別のかたちで戦争が起こりかねません。

皆がやりたいことをやれば、ある分野における個人の能力は極めて高いものになり得ますが、バランスの取れた人間が少なくなってしまうのではないでしょうか。プログラミングはわかるけれどアートについては全然わからない、医学に明るいけれど道徳はわからない……なんだか恐ろしく偏った人ばかりとなり、不安定な世の中になってしまわないでしょうか。

今でもすでに人とコミュニケーションをとるのが下手なプログラマーがわんさかいて、コミュニケーションロスが製品の開発を遅らせたり、クオリティを低くしたりする原因になっている現場があると聞きます。自分とは考えの異なる人と意思疎通するためには同じ場に居合わせて一緒にものをつくっていく経験が不可欠なのです。多様性を認め、自分とは違う人の集まりだから、話を聞いたり譲り合ったりする……その我慢は中長期的には決して無駄ではないはずです。

自分を相対化し、メタ認知できる能力も、数十人のクラスの中に入れられて学ぶからこそ身につきます。子供たちの能力は千差万別です。だから、自分よりスポーツができる子、記憶力のある子、文字が綺麗な子、計算が速い子……がいることに必要以上に落ち込む場合もありますが、基本的に他者との比較で自分の得意分野や不得意分野を認識でき、そこから将来何をしたいかが見つけられるというのは大きなメリットです。

また国語・算数・理科・社会・英語・音楽・体育・図画工作……といったあらゆる教科を学ばせるからこそ、自分の好きなことを見つけやすい。これが私塾や家庭なら、子供たちの将来の進路の選択の幅はぐっと狭まってしまいます。

画一的な指導の是非

確かに画一的な指導をすることで、その子の良さを潰してしまっている可能性も否めません。魚類学者であり、タレント、イラストレーターでもある「さかなクン」のお母様が、さかなクンに好きなこと(魚のことにとことん没頭する)をさせてあげたからこそ、超天才に育てられたんだと読んだことがあります。さかなクンのような子が今の学校教育では育ちにくいとは思います。

しかし、現代は技術の進歩によってどんどん社会が変化しています。それこそ今の子供たちが大人になったときにどんな仕事があるのかなんて想像もつきません。だからこそ、あらゆる分野の内容を幅広く教わること、考え方のプロセスを理解すること、学び方を学ぶことは、時代の変化に対応する力となります。

したがって、仮に「洗脳」という言葉をあてがわれたとしても、教育には最低限やらなくてはいけないことがあります。画一化しすぎず、少しずつやり方を変えればいい話だと思うのです。個人の能力をアピールできる「tell&show」の時間を設けたり、総合的な学習の時間などでマイテーマを深掘りさせたり、教育課程の中でどう個人を尊重するかが考えられればよいのだと思います。

1970~80年代の教育論との類似性

ちなみに、この堀江さんの書いている内容というのは、1970~80年代にイヴァン・イリッチらが提唱した「脱学校論」に似ています。「脱学校論」とは、ブリタニカ国際大百科事典によると次のように書かれています。

「学校は軍隊、監獄、ハイウエーなどの公共事業と並んで、人々の自由な選択を奪い、それを通じて制度への依存を生み出す操作的制度であり、また、不平等や落第者をわざわざつくりだし、これを自明視させる制度でもある、というもの。」

イリッチによると、学校の代わりに、制度的でない、自由なコミュニケーションを通した学習機会の網の目(opportunity web)が用意されるべきであるとのことです。サドベリー・スクールなどがこれに近い組織体でしょう。また敷衍して考えると、現代のインターネットやMOOCSのようなものもこれにあたるかもしれません。これらの教育の良さもわかるし、存在を否定することもありませんし、むしろ私も興味があります。しかし、現在の学校制度を壊すという話は前述のような理由から、いかんせん短絡的のようにも思えます。

社会全体が学校制度の延長線上にある、というイリッチや堀江さんの意見も深く頷けるもので、社会人として社会に出てもなんとも息苦しいなあと思うときはままあります。東芝の粉飾決算なども、上司に逆らえないとか、隠して体裁を整えようとする社の雰囲気を汲み取ろうとか、自分の頭で考えず思考停止した人たちの組織的な過失ですよね。これを起こさないようにするには、頭を使って異を唱えた人が排除されない組織をつくること、つまり年長者や先生が絶対なのではなく、正しい者が正しいとされる文化をつくることです。

文科省の天下りなどが話題になっているくらいですから程遠いことなのかもしれませんが、学校制度を解体することがよいのかどうかは安易に判断せず、熟議によって決定されるべき、あるいは制度が適切なかたちに改善されるべきものだと思います。

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