前回は「視覚に障害のある方へiPadの使い方を講習する」と想定し、インターネット環境やホーム画面のアプリの並び、音声読み上げで使用するホームページの例などについて紹介した。
今回も視覚に障害のある方へ講習する際のポイントについて紹介するが、その中でも全盲(両眼の視力を失った状態)の方を意識したディスプレイ面での配慮について取り上げたい。
操作には指先を使うという前提
晴眼者へ「目が見えない方でもiPadを使う方法があります」と説明するとたいてい驚かれる。
理由は明白で、一般的に「スマホやタブレットは目で見て使うもの」という固定観念があるからだ。目が見えない視覚障害のある方、こと全盲の方がiPadを自由に操作する様子がイメージできないのは当然だろう。
少し知っている人であれば「目の見えない方々は音を頼りにスマホを使うんですよね?」と答えが返ってくる場合もある。正解。
しかし音を聞くだけではiPadを操作することはできない。実際に手なり口(Siriなどの音声機能)なりを使って操作する必要があるからだ。
現在のMacOSやiOSには、話しかけることで画面操作が行える「音声コントロール」という革新的なアクセシビリティ機能が実装(本稿執筆時点では日本語非対応)されており、手さえ使わずiPadなどを操作できるようになっている。しかしまだ一般的には手を、画面をタッチするという意味においては指先を使って操作することの方が大半だろう。
この「指先」という身体的デバイスは、全盲の方にとって、とくに重要な役割を果たしいる。
「指先」という身体的デバイスの重要性
生まれつき全盲の方は、視覚を使わずに生活を送る。目が見えない全盲の方が物を認識するために使うのが指先だ。指先で物に触れ、指先で認識し、指先でアクションを起こす。まさに「指先を目として生きている」のだ。歩行する際には指先の延長線として白杖が使われることからも、日常生活のあらゆる場面で指先を使っていることがわかると思う。
このことをガラケーに当てはめて考えると、ガラケーは全盲の方にとって非常に使いやすいデバイスであることがわかるだろう。ガラケーはボタン一つひとつに凹凸があるため、目が見えない方でも指先でどこにボタンがあるのか探せる。また位置関係からそのボタンが数字の何ボタンなのかを認識できる。
さらにはボタンを押し込む感覚がある(ボタンは押すと凹み、話すと元に戻る)ため、目が見えなくてもきちんとボタンを押したか押せなかったかが身体的に理解しやすいのだ。
上のガラケーをスマホに置き換えて考えてほしい。
スマホの画面は(一部を除いて)基本的に平坦で凹凸はない。つまり指先でボタンを探すのが難しい。またスマホは使うアプリによってボタンの位置が変わるため、「この場所には常にこのボタンがある」という使い方ができない。
さらにはボタンが凹凸になっていないため、ボタンを押し込んだ感覚が得にくい。機種によっては押し込んだ感覚をバイブレーション(振動)で伝える機能もあるが、物理的に押し込めるガラケーほどの感触は得にくい。ボタンが押されたかどうかがはっきりしないと、操作に不安を感じるだろう。
こと生まれつき全盲の方にとっては、上で述べたように「目の代わりとして使う指先」で認識しにくいスマホやタブレットの画面が、いかに扱いにくいものであるか想像に難くない。
障害があってもIT機器は活用されている
しかしここで断っておくが、「全盲=まったくIT機器を使わない」のではない。
個人差はあるが全盲者の中にもIT機器を使いこなし、インターネットから情報を得たり発信している人は大勢いる。
ちなみに高齢の全盲者にはパソコン愛好者が多い。パソコンを操作するには通常、マウスやキーボードを使用するが、全盲者は視覚を使うマウスは使わず、キーボードのみでパソコンを操作する。
キーボードは上で述べたガラケーのように物理ボタンなので、指先で触って認識しやすく物理的に押し込むこともできる。音声読み上げソフトと併用すれば、音を頼りにパソコンを操作できる。
今やスマートフォンユーザの方がパソコンユーザよりも多い時代だが、全盲者にとってパソコンやキーボードを使うことのメリットは、晴眼者が思っている以上に大きいのだ。
ここまで読まれた方は「物理的な入力デバイスが使いにくい(平面ディスプレイの)iPadの使い方を、全盲の方に教えることってやはり難しいのでは?」と感じるかもしれない。
たしかに晴眼者に教えることと比較すれば難易度は高い。しかし上で紹介してきたような全盲の方の特性を理解し、障害をカバーする配慮によって全盲の方でもiPadの使い方を理解できるし、実際に使えるようになった例も多い。
次回はあらためて全盲の方にiPadの使い方を教えるためのコツを、実際に講習会や人財育成講座で使用してきた小道具も取り上げながら紹介したい。